「耶馬渓」という地名、大分に住んでいながら、なんとなく「紅葉がきれいなところ」くらいのイメージしか持っていませんでした。
でもある日、「耶馬渓天下無」という言葉を見かけて気になりました。天下無って、そんなにすごいの?
調べてみたら、景色だけじゃなくて、名前の由来も、そこに残る歴史も、想像よりずっと深かったです。
まず「耶馬渓」ってどう読む?
読み方は「やばけい」です。
大分県中津市を流れる山国川の渓谷で、日本三大奇勝として知られ、日本新三景に選定され、名勝に指定されています。 Wikipedia
「日本三大奇勝」「日本新三景」「名勝」と、称号を3つも持っているとは知りませんでした。
「耶馬渓」という名前は誰がつけたの?
これが気になって調べると、江戸時代の学者・詩人の頼山陽(らいさんよう)が命名したことがわかりました。
1818年(文政元年)に頼山陽がこの地を訪れ、当時の「山国谷」という地名に中国風の文字を宛て、「耶馬渓天下無」と漢詩に詠んだのが、耶馬渓という名前の起こりです。 Wikipedia
「耶馬渓天下無」とは「耶馬渓に並ぶものは天下にない」という意味。江戸時代の知識人が、それほどの絶景と感じたということです。
もともとは「山国谷」という素朴な地名だったのが、詩人の一言で「耶馬渓」という名前に変わった。言葉の力ってすごいなと思います。
耶馬渓の景色はなぜあんな形なの?
奇岩が連なるあの独特の景色、なぜできたのか気になりました。
新生代第四紀の火山活動による凝灰岩や溶岩からなる台地の侵食によってできた奇岩の連なる絶景です。 Wikipedia
つまり、大昔の火山活動でできた岩盤が、長い年月をかけて川の流れに削られてできた地形ということです。大分の温泉と同じく、火山の恵みがこの景色も作り出しています。
「青の洞門」の話が想像以上だった
耶馬渓で特に気になったのが、「青の洞門」という場所のエピソードです。
江戸時代、この渓谷は断崖絶壁の難所で、川の水位が高く、通行人たちは奇岩群が連なる競秀峰の岸壁に設置された鉄の鎖を命綱にして渡らなければなりませんでした。危険なルートのため命を落とす人や馬を見た禅海和尚は、なんとかできないかと、1735年から洞門を掘る工事を始めたのです。 Betsudaikohsan
使った道具はノミと槌だけ。
禅海和尚は托鉢勧進によって資金を集め、雇った石工たちとともにノミと鎚だけで掘り続け、30年余り経った明和元年(1764)、全長342メートル(うちトンネル部分は144メートル)の洞門が完成した。 City-nakatsu
30年です。一人の僧が、人々のために30年かけてトンネルを掘り抜いた。
さらにこの青の洞門には、もうひとつ「日本初」の称号があります。
寛延3年(1750)には第1期工事落成記念の大供養が行われ、以降は「人は4文、牛馬は8文」の通行料を徴収して工事の費用に充てており、日本初の有料道路とも言われています。 City-nakatsu
トンネルを掘りながら、その工事費用を通行料で賄うという仕組みも、禅海和尚が考え出したものでした。
この話は後に菊池寛の小説「恩讐の彼方に」として書かれ、大正時代の小学校の教科書にも載ったそうです。
「深耶馬渓」の紅葉が一目八景
耶馬渓には「本耶馬渓」「深耶馬渓」「奥耶馬渓」「裏耶馬渓」など複数のエリアがあります。
紅葉で特に有名なのが深耶馬渓の「一目八景」。山国川支流の山移川沿いに位置する渓谷で、耶馬渓と言われる際は、ほとんどがこの深耶馬渓のことを指します。 THE GATE
一目八景というのは、一か所から8つの奇岩を一度に眺められる展望台のこと。夫婦岩、鬼岩、猿岩、烏帽子岩など、それぞれに名前がついた岩が並んでいます。秋の紅葉と奇岩が重なる景色は、確かに「天下無」と言いたくなるかもしれません。
大分在住のあかりが思うこと
「耶馬渓=紅葉がきれい」くらいのイメージで止まっていましたが、調べてみると江戸時代の詩人が名付け、30年かけてトンネルを掘った僧の話があり、日本初の有料道路まであった。
温泉や地獄めぐりに比べて、なんとなく地味な印象だった耶馬渓ですが、実は歴史も景観も相当おもしろい場所でした。
紅葉の季節にちゃんと行ってみたいと思います。大分に住んでいながら、まだちゃんと見たことがないのが少し恥ずかしいくらいです。
まとめ
- 耶馬渓は大分県中津市にある渓谷。日本三大奇勝・日本新三景に選定
- 名前は江戸時代の詩人・頼山陽が「耶馬渓天下無」と詠んだことが由来
- 奇岩の景色は大昔の火山活動と川の浸食によってできたもの
- 青の洞門は禅海和尚がノミと槌だけで30年かけて掘ったトンネル
- 青の洞門は日本初の有料道路とも言われている
- 深耶馬渓の「一目八景」は紅葉の名所として有名