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「城島高原パークは実は東京生まれ」後楽園と大分をつないだ、意外な縁の話

大分県民なら、一度は聞いたことがある場所。

城島高原パーク

別府と湯布院のあいだ、由布岳や鶴見岳に近い高原にある遊園地です。

今は「城島高原パーク」という名前ですが、昔を知っている人なら、こう呼ぶかもしれません。

城島後楽園ゆうえんち

ここで、少し引っかかります。

後楽園?
東京ドームのところ?
あの後楽園?

実は、その直感はかなり近いです。

城島高原パークの歴史をたどると、途中で東京の「後楽園」とつながる時代があります。

ただし、最初から東京の会社が大分に作った遊園地だった、というよりは、
大分の高原リゾートとして始まり、後に東京の後楽園グループと結びついた遊園地
と見る方が正確です。

この“ちょっとややこしい名前の歴史”が、実はかなり面白いのです。

始まりは、別府と湯布院のあいだの高原リゾート

城島高原パークがあるのは、大分県別府市の城島高原。

別府温泉と湯布院温泉のあいだにある、自然豊かな高原地帯です。

温泉地としてにぎわう別府。
のちに全国的な観光地となる湯布院。
その中間に広がる、涼しく開放的な高原。

今でこそ車で気軽に行ける場所ですが、当時としては「日常から少し離れたリゾート地」という雰囲気があったはずです。

公式沿革によると、1951年、阿蘇・九重連峰に連なる由布岳、鶴見岳の山麓に広がる城島高原で、別府高原株式会社が設立されました。
その後、1967年3月に、遊園地城島モートピアランドが開業します。

つまり、城島高原パークの原点は、
高原の自然を活かしたレジャー施設
だったわけです。

山がある。
空気が涼しい。
別府にも湯布院にも近い。
ホテルやゴルフ場とも組み合わせられる。

そう考えると、ここに遊園地ができた理由はかなり自然です。

単なる町中の遊園地ではなく、
高原リゾートの中にある遊園地
として始まったのです。

「後楽園」の名前が出てくるのは、1987年

では、なぜ「城島後楽園」という名前になったのでしょうか。

ポイントは、1987年です。

公式沿革では、1987年3月に社名を
株式会社西日本後楽園
へ改称したとされています。

「後楽園」という名前が入ってくるのは、このあたりからです。

後楽園といえば、東京の後楽園球場や、現在の東京ドームシティを連想する人が多いと思います。

だから昔の「城島後楽園」という名前には、
東京の大型レジャー施設のブランド感
がありました。

大分の高原にある遊園地なのに、名前には「後楽園」。
この少し不思議な組み合わせが、城島高原パークの歴史の面白いところです。

ただし、「東京で生まれた遊園地が大分に来た」というより、
大分で育った高原レジャー施設が、東京の後楽園ブランドと結びついた
と表現した方が正確です。

ここを押さえると、記事の説得力がぐっと増します。

城島高原が選ばれた理由

城島高原パークの魅力は、やはり場所です。

別府と湯布院のあいだ。
由布岳、鶴見岳の山麓。
温泉観光と組み合わせやすく、夏は涼しい高原の空気がある。

大型テーマパークのような都会的な華やかさとは違います。

城島高原パークには、
山の風景の中で遊ぶ気持ちよさ
があります。

これは、都市型の遊園地には出せない魅力です。

アトラクションに乗る。
芝生や木々の中を歩く。
遠くに山を見る。
ホテルやゴルフ場も近くにある。

つまり城島高原は、遊園地単体というより、
高原全体で過ごすレジャーエリア
として発展してきた場所なのです。

名物は、日本初の木製コースター「ジュピター」

城島高原パークを語るうえで、絶対に外せないのが、
木製コースター「ジュピター」
です。

公式沿革では、1992年7月に木製コースター「ジュピター」を導入し、遊園地をリニューアルオープンしたとされています。

ジュピターの何がすごいのか。

それは、ただ怖いだけではありません。

木製コースターならではの、
木がきしむ音。
独特の振動。
レールの上を走っているというより、巨大な木の構造物の中を駆け抜けているような感覚。

鉄製コースターのなめらかさとは違う、
生き物のような揺れ
があります。

日本記録の紹介でも、ジュピターは1992年に誕生した日本初の木製ジェットコースターとされ、約6万本の米松を使って組み上げられたコースターとして紹介されています。

この「木でできている」というだけで、乗る前から少し怖い。

大丈夫なのは分かっている。
でも、ガタガタと音がする。
木が揺れる。
体に振動が伝わる。

その不安と興奮が、ジュピターの魅力です。

城島高原パークが全国のコースターファンに知られているのは、このジュピターの存在がかなり大きいと思います。

ただの地方遊園地ではない

城島高原パークは、規模だけで見れば、全国の巨大テーマパークと比べる施設ではありません。

でも、ここには他にはない強みがあります。

それは、
高原の自然と、長い歴史と、ジュピターという名物が同時にあること
です。

都会の遊園地は、アクセスのよさや施設密度が強みです。
大型テーマパークは、世界観と演出が強みです。

一方で城島高原パークは、
別府と湯布院のあいだという立地、
高原の開放感、
地元の思い出、
そして木製コースター。

この組み合わせが独特です。

「昔、遠足で行った」
「家族で行った」
「ジュピターが怖かった」
「名前が城島後楽園だったころを覚えている」

そういう記憶が、大分の人の中に残っている。

これは、単なる観光施設ではなく、
地域の記憶に入り込んだ遊園地
ということです。

経営は変わり、名前も変わった

城島高原パークの歴史は、名前の変化にも表れています。

公式沿革を見ると、1967年に城島モートピアランドとして開業。
1987年に西日本後楽園へ改称。
1992年にジュピター導入。
2007年にはセントレジャー・オペレーションズ城島事業所として運営開始。
そして2012年5月に、株式会社城島高原オペレーションズとして事業開始とされています。

つまり、この遊園地は一度も変わらず同じ形で続いてきたわけではありません。

時代に合わせて、経営体制も名前も変わってきました。

「城島モートピアランド」
「城島後楽園」
「セントレジャー城島高原パーク」
そして現在の「城島高原パーク」。

名前は変わっても、場所は同じです。

由布岳と鶴見岳に近い高原にあり、
大分の人たちにとって、思い出の遊園地であり続けてきました。

ここに、この施設の強さがあります。

「後楽園」の名前が消えても、記憶には残っている

今の正式名称は、城島高原パークです。

でも、昔を知る人の中には、今でもつい
「城島後楽園」
と言ってしまう人がいるかもしれません。

それは間違いというより、記憶の名残です。

東京の後楽園とつながっていた時代があり、
その名前で親しまれていた時代があった。

だからこそ、城島高原パークには、少し不思議な響きがあります。

大分の高原にあるのに、後楽園。
でも、今は地元の名前で、城島高原パーク。

東京のブランドをまとった時代を経て、
今は「城島高原」という土地そのものを前に出している。

この変化は、なかなか味わい深いです。

まとめ

東京の後楽園と縁を持ち、大分の高原に根を下ろした遊園地

城島高原パークは、単純に「東京生まれの遊園地」と言い切るより、
大分の高原リゾートとして始まり、後に東京の後楽園と縁を持ち、今は城島高原の名前で続いている遊園地
と見る方が正確です。

1967年、城島モートピアランドとして開業。
1987年、西日本後楽園へ。
1992年、日本初の木製コースター「ジュピター」導入。
そして現在は、城島高原パークとして親しまれています。

別府と湯布院のあいだにある高原。
家族連れの思い出。
名前に残る後楽園の名残。
木の軋みまで名物になったジュピター。

派手さだけでは語れない、長く続く遊園地の魅力がここにはあります。

次に城島高原パークへ行くときは、
「昔は城島後楽園だったんだよな」
と思い出してみてください。

東京の後楽園とつながった時代を経て、
今は大分の高原にしっかり根を下ろしている。

そう考えると、あの高原の遊園地が、少しだけ特別に見えてくるはずです。

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